夏の夕方、部屋の四隅に金具をひっかけて、みどり色の蚊帳を吊る。あの布の中にもぐりこむときの、ひんやりとした空気とほのかな匂いを覚えている方も多いはずです。窓の外では蚊取り線香の煙がゆっくりと立ちのぼり、うちわの風と虫の声のなかで、家族はゴロリと横になって夜を過ごしました。
今の夏は網戸で虫を防ぎ、エアコンで部屋を涼しく保つのが当たり前になりました。便利で快適になった一方で、蚊帳を吊る手間や、渦巻きの線香に火をつけるあのひとときは、少しずつ遠い思い出になっています。今日は、あの頃の夏の過ごし方と今のちがいを、匂いや情景とともにゆっくり振り返ってみましょう。
蚊帳を吊った夜と、網戸で眠る今
かつては夕方になると、天井や柱の金具に蚊帳のひもをひっかけ、みどりや水色の大きな布を部屋いっぱいに広げました。すそをふとんの下に折り込み、すき間から蚊が入らないように気をつけて中にもぐりこむ。あの布ごしに見上げる天井や、風でふわりと揺れる蚊帳の景色は、夏の夜ならではのものでした。
今は窓に網戸がついているので、蚊帳を吊らなくても窓を開けて風を入れられます。エアコンを使えば窓を閉めたまま涼しく眠れるので、蚊帳を知らない世代も増えました。手間は減りましたが、あのみどり色の布のなつかしさは今も心に残っています。
渦巻きの蚊取り線香と、電気やスプレーの今
縁側や玄関先に置かれた、口を開けた豚の形の蚊やり。その中に渦巻きの線香をセットし、先に火をつけると、うっすらとした煙が上がりました。線香が少しずつ短くなっていくのを眺めながら、今日はどこまで燃えたかなと気にしたものです。夕暮れどきに漂うあの煙は、夏の風物詩でした。
今はコンセントにさすだけの電気式や、ワンプッシュのスプレー式など、火を使わない虫よけが増えました。煙も出ず手軽ですが、あの豚の入れものと渦巻き線香の組み合わせは、昭和の夏を思い出させてくれる懐かしい光景です。
うちわ・扇風機と、エアコンの今
夕食のあとは、家族がそれぞれうちわを手にパタパタとあおぎ、汗をぬぐいながら涼をとりました。首を左右にふる扇風機の前に顔を近づけて、声を「あー」と震わせて遊んだ子どもの頃を覚えている方もいるでしょう。扇風機の風は、暑さをしのぐごちそうのようなものでした。
今はエアコンのスイッチひとつで部屋全体が涼しくなり、汗をかかずに過ごせるようになりました。快適さは格段に増しましたが、うちわであおぐ手の動きや、扇風機の前で過ごしたあの時間には、今とはちがう夏のにぎやかさがありました。
打ち水と、冷房で涼をとる今
日が傾きはじめる頃、バケツやひしゃくで玄関前や庭先に水をまく打ち水。まいた水がじりじりと乾いていくあいだ、あたりの空気がふっと和らぎました。ご近所どうしで声をかけあいながら水をまく光景も、夏の夕方によく見られたものです。
今は外に打ち水をしなくても、冷房を入れれば家の中はひんやりと保たれます。手軽で涼しい一方で、水をまいたあとの土やアスファルトの匂い、ゆうやみに響く水の音は、あの頃ならではの夏の情緒でした。
縁側の夕涼みと、室内で過ごす今
夕食のあと、縁側に腰かけてうちわであおぎながら、家族でとりとめのない話をする。すいかを食べたり、線香花火をしたり、庭の草むらから聞こえる虫の声に耳をすませたり。開けはなった窓から入る夜風のなかで過ごす縁側の時間は、夏の夜の楽しみでした。
今は網戸ごしに風を入れたり、エアコンの効いた部屋でくつろいだりと、室内で快適に夜を過ごすことが多くなりました。縁側のある家も少なくなりましたが、あの板の間に座って夜風を感じたひとときは、今も懐かしく思い出されます。
蚊帳の中の秘密基地と、網戸ごしの風
みどり色の布に囲まれた蚊帳の中は、子どもにとって特別な空間でした。中でごろごろ寝ころんだり、きょうだいで小さな声で話したり、布ごしに外を眺めたり。まるで自分たちだけの隠れ家のようで、寝るのが惜しくて何度も笑いあった夜もあったはずです。
今は網戸を通して夜風を部屋に入れ、涼しさを楽しみます。蚊帳のような囲まれた空間はなくなりましたが、あの布の中で味わったわくわくは、夏の夜の忘れられない思い出として残っています。
煙の匂いという夏の合図と、無臭の今
夕方、どこからともなく漂ってくる蚊取り線香の匂い。あの香りをかぐと、ああ夏が来たなと感じたものです。縁側や玄関先にたなびく煙は、目にも鼻にも夏を告げる合図で、家族が集まる夕暮れの時間と結びついていました。
今は電気式やスプレー式など、匂いのほとんどしない虫よけが増えました。手軽で快適になった分、あの独特の香りにふれる機会は少なくなりました。ふとどこかで蚊取り線香の匂いをかぐと、遠い夏の夕暮れがよみがえってくるという方も多いことでしょう。
蚊帳を吊った夜、渦巻きの蚊取り線香の匂い、うちわの風、縁側の夕涼み。夏の過ごし方はずいぶん変わりましたが、そのひとつひとつには、家族で過ごしたあたたかな時間が結びついています。
「うちの蚊帳は何色だった」「豚の蚊やりが玄関にあったね」と、ご家族やお友だちと昔の夏を語りあってみてください。ひとつの情景から、なつかしい夏の記憶が次々とよみがえってくるはずです。